VOLUNTARIA SENIOR DE JICA

Edición del Libro del 80º Aniversario

Lic. YO  SATO

佐藤 葉   自己紹介に換えて

大学で中世日本文学を専攻。企業の事務職、雑誌社で編集記者、のちフリーランスで雑誌を中心に新聞、単行本の記者。アマチュア記者養成講座、記事添削指導、随筆指導。著書・共著6、7冊あり。60歳過ぎて一念発起、日本語教師の資格に挑戦、日本語教師を始めた。好きなこと:本を読むこと。音楽は幅広く聴く。合気道はいつの間にやら20年になった。能の仕舞は残念ながら半年、1曲だけ。

さて。「出身は?」「はい、日本です」 こう答えると、たいていの人はどう返したものやらと、一瞬戸惑うようだ。私はからかってなぞいない。埼玉県大宮市で生まれ、5歳のときに東京へ。東京に5年、長野市に1年半、福岡県門司市(北九州市へ移行時)に2年半、香川県高松市に1年半、そして東京に戻った。当時は、日本の東と西では文化の違いが大きかった。たとえば、西の人は納豆を食べない、豚肉より牛肉、など。

このように各地で育つと、出身をどこと答えたらいいのかわからなくなってくる。

その後も横浜市に4年、アメリカのロサンゼルスに3年、また横浜市で25年あまり過ごし、そろそろ老いじたくを始めようとしたら、定年退職した夫が東京は人が多いから住みたくない(我が家は横浜市です。市民320万人では都会だけど)、暑いのも嫌、というわけで、長野県の諏訪市から八ヶ岳へ登った標高1300mの森の中で、夏は扇風機もいらない代わりに冬は雪と氷の中で冬ごもりをしている。その後も、私はボリビアに1年7ヵ月住み、今またパラグアイというわけである。夫ですか? 猫2匹と留守番である。猫の世話が大変だそうな。

閑話休題。「出身地」である。パラグアイへ来て、「出身は?」「ピラポです」「イグアスです」という日系人どうしの会話を小耳にはさんだとき、はて、と何かがひらめいた。(以下、勝手な解釈です。お許しください)。移住地を言うときに、その人の背景=移住した当時の両親や祖父母の苦労、それにその地の人々が創った文化などが浮かび上がるのではないか? それらはつまり、その人が負っている歴史、あるいはその歴史がその人を形作ってきており、その背景によってその人への理解が感覚的に捉えられるのではないか、と。このように考えると、日本国内でも発せられる「出身は?」の問いも、各地が持つ文化、歴史が浮かび、その人の背景が感じられ、理解しやすい気持ちになるのだろう。あるいは、共感か。

夫の本家である山口県の村の人たちは、私に「大宮市? 田舎じゃのう」と返した。1日に数本しかない列車の駅を降り、ものの10分も歩くと海に突き当たるような、私から見ると壮大な田舎なのだが、萩市の文化圏という意識があるのかもしれない。萩市は明治維新の志士たちを、また山口県は総理大臣を排出している。村の人々の誇りでもあるようだ。大宮市は東京(都会)に近いから生活は都会的だと思っていたのだが、私が生まれたころは、壮大でない田舎だった。いずれにせよ、五十歩百歩、という気もするが。

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